確かに声はちょいと少し風邪気味だったかもしれん。
歌詞も抜けた。
しかしそのごっつい熱いパッションは確かに頂きました。
届きました。受け取りました。ありがとうありがとう。

喉は大事にしてくださいって確かにあたし前回書いたかもしれん。あはー。

そんな訳で行って来ました。福島2nd Line。



メジャーデビューからのアルバム、初期の頃から辿って行くと根底に流れる切なさ寂しさ孤独ひとり……静謐なる深遠の淵に佇んでるひとりの物哀しさ眼差しとか、そういうものに対して凄く強く共感共鳴していたのですが私。
いざこういう風に言葉にするとなるとうむ。漠としたものを形に表すって難しい。此処何年かこういう行為を怠っていたから尚更。結局の所それを感じ取って、その感じた何がしかのものを相手に伝えるということは非常に難しい。だからそこん所で私個人としては相手に伝えるという行為を放棄してしまっている。受け取るものはそれぞれによって違うからどうしたって伝えることは難しいから。だから勝手にどうぞ的スタンスになってしまっている。音楽なんてよりそういうものであると思うし。

ずれた。

確かメジャーデビュー時のシングル4部作以降売り出し第2弾シングルがCDTVのOPタイアップだった「ハック」で(電撃的な出逢いはこの時。ありがち)、番組内で一度歌いもしたし(の割にはTV用で体よく歌詞が切られてたが)、その次の週CDTVのチャート(ってオリコンだっけ)36位(か38位)が最高でした。その後消えた。唐突に消え去った。あれは物凄く哀しかった。
その後「ムーンパレス」のCMと「マーケット」のCMは見た。確か。この頃ようやく初めて赤坂ブリッツまでライブに行った。念願の「ハック」生、あの最後のギターは今でも耳に残っているほど鳥肌が立ったものでした。全身に響いたよ。
どうしてだか良くわからないけど「ねないねないねない」がドッキリドクターというアニメのOPにもなった。OPの為に見てた。はは。

私は別に東京近郊に住んでいる訳でもなく片田舎の只の1ファンであるので何がどういうことがあって活動休止に至ったのかなんて知らないし知った所でどうにかできるような人間でもないし、メンバーの「やりたい」という意思がなければ音楽なんて惰性でやってもしょうがないし、ただひたすら待つことしか出来ないのですが。出来なかった訳ですが。生を知ってしまった以上、生歌が聴きたくて聴きたくて仕方がなかったあの頃。禁断症状出そうでした。

活動を再開してリハビリライブ、何がどうなっていたのかもわからんのだけれどもとにかく行っておかないと生は1回限りそれっきりでしかないものであって再び同じことが出来るものではなくて、更にその上もしかするとこれっきりしかないのかもしれないという幾許かの恐怖、脅迫感もありつつ東京へ行きました。
「Through」が出来なかったら帰ってこなかったとつくった人がいつか云われてましたが。あの当時聴いた新曲は、今のアルバム「Through」に入ってる訳ですが突き刺さってくる鋭い痛さと強さがあったし歌ってる牧野さんも何だか痛そうでぼろぼろそうでけれども歌わなければならない、という風な壮絶さというか悲壮さを感じました。それから1年位は結構棘が刺さってくるような痛みを持った強さ鋭さみたいなものをガンガン感じてました。圧倒されて帰ってました(それでも力を貰ってたのは本当)。
けれどただただ帰ってきてくれたことが嬉しくて仕方がなかった。個人的に。確かに変わった。何かが変わった。インターバルはあったけどそれでも尚似たようなスピードで一緒に進んで行ける様な、取り残されてしまった感のない心地よい変化、だと思うのです。
そして。昨年の秋以降くらいから楽しんでライブをやってる、風に見えてきて疾走感よりも高揚感をより多く感じられるようになってきた気がします。
ケンイチロウ氏が正式に加入したことで、個人的にカスタネッツはは劇的に変化したと思う。方向性、活動のスピード、安定感等々。
「サンシャイン」と「また明日」は今までとは完全に受ける印象が違うもの。「うたかた」、「変わりゆくいまよ」での力強さ(かなり年が違うけど)が更に明確に感じられるようになったと思う。そして更にこれからどうなってゆくのか、物凄く楽しみな所です。
カスタネッツのスピードで進んでいって欲しい。ずっと見てますから。ついていきますから。新曲も楽しみにしつつ。寡作であることは決して悪いことではないよと思います。

今回もほぼ真正面で聴いておりました(最前列とかいう訳ではない)。

ご馳走さまでした。

出待ちねぇ。
出待ち。
うーんうーん。
まぁやめときます。

次は下北2日間。
うわー。実習開始の2日前ですけど(でも行く)。

良くわからないまま終わる。

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