食事情

2005年7月2日
幼い頃から現在に至るまで、家族全員で食事を食べに行く=外食する、ということをしたことがない。云ってしまうと家族全員揃って家族旅行というものもしたことがない。それを各家庭の習慣といってしまえばそれまでなのだけれども。

毎日ごはんが炊いてある(嘘。2日に1回。一度に1升炊く)。それを家族で食卓で食す。それが当たり前のことだった。
惣菜パック…惣菜コロッケでさえ食卓に並んだことはなかった(実家の方では今でもない)。と云ってうちの料理がとてもおいしかったのかと云うとそうではなく、大変申し訳ないのだけれど祖母も母も「これはウマー!」という料理の腕の持ち主ではない(日曜昼のごはんはお好み焼きだとか焼きギョーザ(これは買ってきたものを焼くだけだけれど)だったけれど、この所為で今でも私はお好み焼きとギョーザを好んで食べたいとは思わないのでした。……以上余談)。

農家である故に殆ど野菜は買う必要がない(その分種・苗代と肥料代と手間がかかっている。家庭菜園ならともかく、出荷する種の農作物を作っているとしたら目は離せない。例えば、きゅうりの成長速度をご存知ですか。朝3cmだったものが夕方には15cmくらいになっていたりするのです。その為毎日収穫しなければならない。放っておく・見過ごしたりすると30cmの巨大きゅうりを発見したりすることがある。スーパーできゅうりを買うとただのイボイボになってしまっているけれど千切り立てだとあの棘は細いけれど刺さると本当に痛い)。土から育つ野菜類はどれもその季節毎にしか出来ないものであるので当然食卓には季節物(ばかり)が並ぶ。
夏いっぱい、時期が終わるまで毎日毎食これからはなすびとピーマンとトマトときゅうりが顔を見せたりする(例。朝はなすの漬物、昼は焼きナス、夜はなすの煮物。もしくは(夏休み中)毎日昼に焼きナスエンドレス……)。
農作業が終わってから食事の用意を始めるので祖母(昭和5年生まれ)の料理は結構大胆且つ豪快で更にシンプル。
ゆでダコのぶつ切りてんこ盛りとか焼きナス、もろきゅうなどなど。
更に意見・文句は許されない。
曰く「文句を云うならお前が作れ。作らないなら黙って食べろ」……ごもっともでございます。

ああでもばーちゃんのつくるコロッケ(物凄い素朴な味がする)とオムレツ(たまごは固焼き。中の具が好き)が食べたい。

食事の面において(だけではないのだが)母の記憶はずいぶんと薄い。
勤続二十数年のキャリア?ウーマンですから年が上がるにつれ帰ってくるの遅くなっていってるんでごはん係は週末のみだった。

ふとそんなことを思ったりした土曜の朝。

何がびっくりしたって、30代後半〜40代前半と思われる一児の母の人(都会育ちだそうな)が「茄子の花がどんななのか知らない。ピーマンがどういう風に生ってるのかよく知らない」と発言していたこと。
もしも都会で暮らしていて自然に触れる機会のない、そういう人が大半なのだとしたら「ものを大切に」と云っても本当にピンとこないんだろうなぁ。あの形で店に売っている状態でしか茄子を見たことがない人には、どんな色の形の大きさの花が咲いてそれがどういう風に実を結んであの大きさにまでどのくらいの期間で成長するのか想像もつかないことなんだろう。
……知らない、とは知る必要もない、興味・関心もないということなんだろうか……。

「たまに自然を感じるからいいんです。暮らすものではない」と発言された60代の都会暮らしの男性がいる(職場の人)。
確かに都会は便利だ。田舎は不便だもの。車がないと暮らせない。(うちの近くには)路線バスはない。あっても1時間に1本あるかないか。田舎の路線は赤字路線が多い。1時間に1本のバスに乗るよりは車の方が便利。なので悪循環。「経費削減」でバスも電車もどんどん赤字路線はなくなってゆく。逆に都会はどんどん便利になってゆく。

じゃあ、元々田舎に住んで暮らしている人は?
どうすればいいんでしょう。

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